風戸裕のこと [RACE]
自分の中では、つい昨日のことのように思えるのですが・・・
もう大分前に20号線から移転して無くなってしまった山梨のとあるレストラン、
「ピットイン竜王」にあった「風戸裕メモリアルホール」へ行った時の写真です。
’74年6月2日、レース中の不慮の事故で亡くなってから1年後にここを訪れました。
’75年7月27日のことでした。
ガラス越しでしたが、展示されていたマシンをたくさん撮ったのですが、
残念ながらネガが見つかりませんでした。
「レクイエム風戸裕」 ビル大友著
当時の展示車は’70年ポルシェ908ⅡとGRD272でしたね。
たくさんのトロフィーや思い出の品々で埋め尽くされていました。
ハンバーグやコーヒーの味は忘れたけれど、
ここはただの記念館じゃありませんでした。
何か目には見えない多くの強い意志が感じられました。
って、別に怨霊の存在を感じたわけじゃありませんが・・・(笑)
週刊少年ジャンプ’78年1月9日号
物語の主人公「風吹裕矢」の名は風戸裕からきているのは・・・知ってますよねぇ。
Racing on 447
こんなことを思い出したのは、この雑誌の特集記事を読んだことから始まります。
当時のプライベートドライバーの多くは恵まれた家庭環境や、潤沢な資金、
いわゆる“金持ちのボン”が多くを占めていました。
もちろん風戸も父親の事業の成功と言う大きな追い風がありました。
当時、考えられないほど高価だった最新のマシンを次々に乗り継ぐその財力もふくめて、
いや、そんなことはどうでもよいほどアグレッシブな、この20歳の若者は魅力的でした。
「レクイエム風戸裕」
この1冊の中に、17歳でデビューして25歳で事故死するまでのとても“濃い”人生があります。
軽自動車から8リッターV8まで、何に乗っても同じように速く走らせられる、
いわゆる“ナチュラル・ドライバー”でした。
Racing on 447
時にはこんなマツダファミリアプレストロータリークーペで耐久レースに出場し、
好成績をあげていましたね。
風戸の乗ったクルマのミニカーはありませんが、
当時スパ24時間に出ていたロータリークーペです。
リアのオーバーフェンダーがかっこ良かったですね。
自分でローンを組んで買った初めてのクルマは、
濃紺のプレストロータリークーペでした。
このモデルはエブロ製。
Racing on 447
タキレーシングが日本に入れた908スパイダーですね。
写真のマシンと同じものかどうかはわかりませんが、もう日本には無いんでしょうね。
モデルはエブロ。
日本の名レース100選’71富士マスターズ250キロ
風戸のマシン、ポルシェ908Ⅱですね。
当時ポルシェにあった中古車?でしたが、かなり高価だったでしょうねぇ。
イタリアのベストモデル製です。
「レクイエム風戸裕」
アメリカで絶大な人気を誇ったCam-Amシリーズにも参加していましたね。
このマシンはローラT222シボレー、8リッターV8のモンスターマシンです。
モデルはスパーク。
’78年のグラチャン(以下GC)でレストアなったこのマシンがお披露目されました。
「レクイエム風戸裕」
ヨーロッパでF2を戦っていたGRD272です。
当時最強のBMWエンジンを苦労して手に入れても、
思うように走らないこのマシンにてこずっていました。
当時、ワークス体制で同じF2を走っていた、
後のチャンピオンドライバー、ニキ・ラウダと同じマーチに一度乗せてみたかったですね。
風戸の事故死の後、ヨーロッパから家族のもとへ戻ってきたこのGRD272は、
長いこと上記の“ピットイン竜王”に展示してありましたが、一度海外に売りに出されます。
それを日本のエンスージアストが買い戻して、今は日本にあります。
’08年のもてぎのイベントにて。
日本の名レース100選’71富士マスターズ250キロ
国内の人気レースだったGCシリーズもレギュレーションが変わって、
2リッター以下のマシンにタイトルが掛けられることになります。
シェブロンB19やローラT212などのオープン2座席のマシンが、
日本のサーキットを走り始めます。
モデルはスロットレーシングのFLY製1/32のシェブロンB19です。
後にヒーローズレーシングを率いる田中弘が、
まだ現役で活躍していたころのマシンです。
シェブロンのスリークなラインはあの頃自分のお気に入りでした。
フラットなボディは今見てもとてもかっこいいですねぇ。
奥からFLYのB19、同じくデルプラド(ドライバーはニキ・ラウダ)、
そしてノレブのB23です。
B23は風戸がGCに参戦するために手に入れたマシンです。
’78年のGCで先のローラと共に公開されたB23です。
リアカウルはオリジナルの形状なのがわかりますね。
この後にGC用に買ったB26はリヤカウルを延長したり、
FISCOのコースに合わせてボディカウルをモディファイしていました。
もちろんこのB26は、風戸と運命をともにしてしまいましたが・・・
’00頃、“ピットイン竜王”の移転に伴い、風戸家はローラT222、シェブロンB23,
GRD272、そしてポルシェ908Ⅱの4台のマシンを売りに出します。
それぞれアメリカやヨーロッパ、そして日本で大切にされているのは喜ばしいことですが、
出来ればリニューアルしたメモリアルホールですべてのマシンを見たかったですね。
最も、37年前に思いもかけない事故で天に昇ってしまった若いドライバーを、
思い出すために、カタチあるものに拘る必要はないのかもしれませんが・・・
当時日本人で、F1に一番近いところにいたと言われていた彼の走りを、
残念ながら自分は、サーキットのコースサイドでは見たことがありません。
2011-06-06 22:43
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コメント(24)
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風戸裕→風吹裕矢・・知ってますよ〜
風戸裕が現在のF1に乗っていたら・・
可夢偉とどっちが速いでしょうねぇ?!
by ロンツー (2011-06-07 20:10)
物語の主人公「風吹裕矢」の名は風戸裕からきているのは・・・
知っています(笑)
サーキットの狼の世代でしたから。リアルタイムで「少年ジャンプ」を読んでいました。池沢さとし氏(今のお名前の漢字は知りません笑)も熱心なファンだったのかなぁ~伝説のドライバーの記事、ありがとうございます。
故浮谷東次郎くらいしかプラモデルは出ていません・・・・
by komakura (2011-06-08 02:16)
ロンツーさん
当時、風戸と同じレースを走っていたメンバー、
たとえばフィッティバルディ、ロイテマン、ジャブィーユ、
J.マス、ペスカロロ、D.ベルそれにV.ブランビッラetc、etc・・・
いずれも後にF1まで登りつめた顔ぶれです。
F2とはいえシェブロンのワークス入りも決まっていたのに・・・
たら、ればはありませんが、もう少し見てみたかったですねぇ。
可夢偉はひょっとするとトップスリーからお声がかかるかも・・・
by 1275GT (2011-06-08 20:52)
ねこざかなさん
いつもnice!ありがとうございます。
by 1275GT (2011-06-08 20:53)
komakuraさん
静岡ホビーショーで発表されたように、
生沢徹の歴代のマシンがモデル化されます。
ミニカーの世界は次第にディープな小ロットの製品が多くなっています。
買い漏らさないように気をつけてはいるのですが・・・
池沢さとし(早人師)氏は連載開始前に、
富士霊園にお参りに行ったそうですよ。
by 1275GT (2011-06-08 21:06)
あの頃は、頭の中がギターとファッションでイッパイだったので、子供のクセにあまり漫画本を読んでいなかったような気がします。
実在のモデルが存在していたんですね・・・不勉強でした。
by ベアトラック (2011-06-09 06:50)
ベアトラックさん
いつもありがとうございます。
自分もあの頃はレースに夢中で「サーキットの狼」は、
正直言って実際のレースの世界とはかけ離れていた気がして、
たまに読む程度でしたね(笑)
作者の池沢氏は実際のレースで優勝経験もある、
ドライバーとしてもレースを良く知る方です。
スーパーカー合戦の大ヒット時よりも、
風吹裕矢がヨーロッパでレースを戦う後半が好きですが、
内容がマニアック過ぎて受けなかったようですね(笑)
by 1275GT (2011-06-09 20:37)
ほぼ同年代で、同じ大学に通っていました。良くポルシェに乗って通学していると言われていましたが、実際に見たことはありませんでしたけど。
by conta (2011-06-10 23:02)
非日常な展開が出来るのが漫画の世界だと思いいます。
いつまでも白いロータスヨーロッパを、大切に乗ってる漫画なんて(笑)
つい先日も筑波を走り回る元気なロータスヨーロッパを観てきました。
しかし読者は現実のまま、それで不人気に・・・。
表面だけの人種がいないとブームは起こりませんからね
モナコの戦いなど正に夢物語!心躍らせましたが、ほとんどのファンは
公道しか走って無い訳で仕方ありませんね。
続編で21世紀の狼ってのがあります。
主人公は風祭旬、ロータスエリーゼに乗ってるんですが
このエロにいちゃんが現代の風吹裕也に会うんですよ。
これが過去のマシーン全部持ってるんだわ!(爆)
6月といえば風戸選手の亡くなった月ですね、合掌。
by ちんたん♪ (2011-06-10 23:31)
contaさん
コメントありがとうございます。
当時は、風戸裕も生沢徹も雑誌でしか知らない、
別世界に住む人たちでした。
当時世界的にも評価の高かった父上の会社も、
やがて人手に渡り、風戸家とは縁が無くなります。
はたして何の経済的な援助も無くヨーロッパでレースを戦えたか、
今となっては憶測で語るしかありませんが・・・
“あの”時代はとても面白かったです。
by 1275GT (2011-06-11 00:02)
ちんたん♪さん
当時、一般には高速道路をとんでもないスピードで走るクルマ、
くらいの認識しか無かった、いわゆる“スーパーカー”が、
ガチでバトルするという夢のような内容でしたね。
今のように即レース可のようなモデルと違って、
スペックだけの実物大ミニカーみたいなクルマでしたからね。
風吹裕矢が初めてフォーミュラマシンをテストするシーン、
最終コーナーで毎回スピンして後ろ向きに飛び出し、
嘲笑するメカ達の前を、ギリギリの速度で回り切って、
最後には凄いタイムをマークするというくだりがありました。
レースを好きなひとならワクワクするようなシーンですが、
あまり受けなかったんだろうなぁ(笑)
当時の読者がオトナになって、
苦労して子供の頃の夢だったフェラーリを買った話なんかが、
クルマ雑誌のネタになったりしてますが、
当時“斜め読み”のあまり熱心な読者じゃなかった自分は、
結局ミニに安住の地を見い出しています(笑)
あ、風戸裕の話だった・・・
by 1275GT (2011-06-11 10:04)
いっぷくさん
nice!いつもありがとうございます。
お忙しそうですね、いつも楽しませていただいていますよ。
by 1275GT (2011-06-13 07:54)
tomuyamu9n さん
nice!ありがとうございます。
よろしくお願いいたします。
by 1275GT (2011-06-13 07:57)
風戸裕選手
リアルタイムではないですが(74年生まれなもので)、色々な雑誌で知っています
たら・れば、を言ってはいけないんでしょうけど、一番F1に近い存在だったんでしょうね
by かし (2011-06-16 21:34)
かしさん
はじめまして、nice!、コメント、ありがとうございます。
あの頃でも、パーソナルスポンサー(いわゆる持ち込み)は、
良いチームには結構重要な条件でしたから、
経済的に恵まれていた彼はF1に乗れるチャンスはあったはずです。
いわゆる下位チームからはオファーがあったようですが、
彼が目指していたのはもっと上だったのでしょうね。
どんなマシンも器用に乗りこなす才能は抜群でしたから、
結構“行けた”んじゃないかと思いますがね・・・
by 1275GT (2011-06-18 23:12)
ex Hiroshi Kazato 1972 March 722
by March 722 ex Kzato (2012-12-07 23:10)
ex Hiroshi Kazato 1972 March 722 さん
貴重な画像有難うございます、早速拝見しました。
すでに海外に流出してしまった、メモリアルホールのマシン達も、
彼の地のイベントで元気に走っているようですね。
確かローラT222もアメリカにあるようですよ、あのままの姿で・・・
by 1275GT (2012-12-08 21:49)
初めまして、懐かしく拝見しました。
展示されていた風戸選手の写真、私も写してます。
http://minkara.carview.co.jp/userid/295313/blog/28988241/
by gop (2013-02-20 08:39)
gopさん
コメント有難うございます。
歳のせいか昔の事がとても懐かしいです。
ホンダやトヨタでさえ自社のミュージアムにないクルマも、
クルマ文化の成熟した“先進国”には存在したりします。
自分もアルバムの中に当時を閉じ込めてあります(笑)
by 1275GT (2013-02-21 20:25)
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by Giffo (2013-08-01 22:38)
Giffo さん
新たな情報、ありがとうございます。
海外では旧いレーシングカーにもヒストリーは大事にされるんですね。
最近も、生沢徹のブラバムBT21の当時クラッシュしたフレームから、
再生したマシンの話題が入ってきましたね。
by 1275GT (2013-08-09 07:59)
風戸裕さんのカセットテープ(昭和)発売のもの持っています
よろしかったら送りたいのですがどのようにすればいいですか?
又風戸さんが出ていたころのグラチャンレースパンフレット
数冊ありますのでこれについても連絡ください
ピットイン竜王をここで知りました
by 菊地孝 (2017-11-14 19:36)
菊池孝さん
新たな情報ありがとうございます。
この記事を書いた後に彼と運命を共にした、
シェブロンB26(ロングテール)のミニカーも入手しました。
”2”の方で折に触れ書いているように、
今は膨大な量の紙資料やその他のコレクションを整理しています。
歳と共に衰えていく記憶や情熱は仕方ないものなんですね。
こんな古い記事にコメントを頂けるなんて、
感謝の気持ちでいっぱいです。
カセットテープの件、お気持ちだけありがとうございます。
ピットイン竜王があった場所は道路も変わり、
もうすっかり面影もないと聞いております。
by 1275GT (2018-01-04 11:16)
むかし富士スピードウェイによく行っていた頃、長野から高速使わずに行っていたためピットインの前を通っていたのでいつかは寄ってみようと思っていたら無くなってしまっていてとてもショックでした。雑誌でも鈴木亜久里さんが風戸さんに憧れていてF1に行く前にお店に寄ったことがあるなどでピットインのことを知っていました。たしか「F1グランプリ特集」だったかも。
それ以来とても気になるレーサーでしたがなかなか風戸さんの情報少なくて時々検索していて、今回詳しく使用車など見れて良かったです。
by けんくん (2022-07-21 22:42)