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ボクはホンダ党  (軽トラからF-1まで) [minicar]


世界広しといえども、軽トラからF-1まで作っている自動車メーカーはホンダだけです。
ルノーやトヨタなどF-1に参戦している量産車メーカーは有るけれど、
軽トラ、さらには耕耘機まで作っているメーカーとなるとホンダの他には有りません。
そしてホンダには2輪のカブという世界的なヒット商品まで有るのですから。

(軽自動車編)(HONDA S 編)ときた「ボクはホンダ党」も今回で最後です(一応ね)。

写真の軽トラ達は大きいT360がアリイのプラモ組立品、TN360がサクラ、手前がトミカです。
グリーンの幌のはHDM(ホンダ・ダイレクト・マーケティング)製です。
左端のマスコミトミカは「ケーキ屋ケンちゃん」です、レアかも(笑)


初期のF-1達、左がAIHARAというメーカーのRA-300(’67イタリアGP優勝車)で、
中は近年のビテセでRA-272(’65メキシコGP優勝車)です。
右の小スケールはチャンピオンのRA-301、第1期最後のマシーンですね。

AIHARA(アイハラ)のサスペンションはコイルスプリングでアームも良い感じです。
このメーカーの他のモデルを知りませんが、なかなかの出来です。

トミカのF-1ですが、何で?と思うRA-302です。
技術的にはとても凝った空冷V8を積んだ意欲的なマシンですが、
重さと、オーバーヒートなどの問題を克服できず、埋もれてしまった失敗作です。
さらに、政治的な理由で無理にデビューさせたレースで、クラッシュ炎上し、
マグネシウム製と言われた車体ゆえ、ドライバーが焼死するという痛ましい結果になりました。
その後も予選などには登場しますが、満足に走ることは出来ませんでした・・・
トミーはダンディでもこのモデルを作っていますが(今回発見出来ず)、
活躍した栄光のマシンではなく、何で302なんだろうか?・・・と。
トミカの方は型を使い回されて無理な展開になっていますが、
これをもってHONDA F-1とされるのは、ホンダ党としては異議あり!ですね(笑)
日本人フルタイムF-1パイロットとして、
ホンダの後押しがあってロータスから世界に飛び出した中嶋悟の存在は、
当時の日本のF-1ファンを大いに沸かせました・・・
F-1ドライバーとしては少し遅かったデビューが、ちょっと悔やまれたのを覚えています。
今年の最終戦で息子の中嶋一貴がF-1デビューを果たし、来シーズンがちょっと楽しみです。
それにしても、今シーズンのホンダの不甲斐なさはガッカリしましたね・・・
でも、一番ガッカリだったのは琢磨を追い出してまで居座ったバトンだったでしょうね。
この才能溢れる英国のスターは、すっかりハミルトンにお株を奪われ、
F-1の世界がお金や運だけではなく先を見る目が一番重要なのだと、
痛いほど感じているのでしょうねぇ・・・
来年はもうちょっと前の方でレースをして欲しいなぁ。
モデルは、トミカが99T、オニクスが100T、奥のマジョレはF-1共通型?です(笑)


2輪のモデルはあまり持っていないのですが、トミカを少し・・・
手前はダックスのバリェーション、奥はCB750Fです。
カブはタイムスリップグリコのC-100です、こうして見るとこれが一番良い出来ですねぇ(笑)

ダイヤペットのダックスも有るのですが、今回は発見出来ず!(笑)


RA-302で意欲的に空冷エンジンを開発していたのは、乗用車も空冷で行く計画だったのです。
まるでバイクの様な、ドライサンプ式の“特殊”空冷1300ccエンジンを積むこのスタイリッシュなクーペに、
とてもメカニカルな魅力を感じていました。
二重構造による重さやマイナートラブル等によって、
やがて普通の水冷エンジンに替えられて、145シリーズとなって姿を消します・・・
ダイヤペットのノーマルと当時実車があったパトカーです。
ルーフにハッチが有ったり赤色灯が伸びたり・・・西○警察みたいですが(笑)


トミカのクーペ9も有るのですが、手元にある3色はHDM製のものです。
手前のバモスホンダの左のグリーンのもHDM製です。
クリーム色の3台はトミカのバリェーションというヤツで・・・

裏板の中程のエンジン部分に(c)1975というモールドの“有”りと“無し”です。
じっと見てもあんまり良くわかりませんけどね・・・
恐ろしく細かい事ですが、トミカコレクターの一端(怖さ)が覗けますね(笑)

で、近年再生産のHDM製の裏板はあっさりと省略されています・・・


試行錯誤の末、やっと4輪車メーカーとしてのホンダを世に認めさせたヒット作、シビックです。
当時、カローラやサニーと比べてシビックはとても斬新に見えました。
あえてホンダはスポーツモデルとは言いませんでしたが、RSと言うモデルが有りました。
数回試乗して大いに気に入り、契約寸前まで行ったことが有ります(笑)
なぜ買わなかったのかって?・・・それはどうしても欲しい・・・この続きはまたあとで(爆)
大きいスケールは白とブルーがダンディの4ドア、茶色がダイヤペットの4ドア。
それぞれCVCCと言う公害対策の希薄燃焼エンジンを積んだモデルです。
やや大きめの紺色のはチェリカ100で、これは2ドアです。
手前のトミカは右のオレンジが通常品、左の2台はHDM製です。


シビックの上級モデルとしてデビューしたアコードです。
スタートはこんな小さなハッチバックだったんですよ(笑)
ブルーメタはダイヤペット、2トーンはダンディです。


軽自動車編のあとに「発見」したNとZです。
Nは右からエブロのN(ゼロ?)、アドバンスピリット(ミニカーショップ・アド)のホワイトメタル製、
エブロのT(スポーツタイプ)、ZのGSSは2台ともダンディ(HDM製)です。


エンブレム、色々・・・

「ボクはホンダ党」なんて言うわりにはN360からこっち1台もホンダ車に乗っていません。
でも、最近の売れ筋ミニバンも、高性能なSUVも・・・
羽根の生えちゃったS2000も、ヒットしたフィット(笑)も・・・あまり欲しいとは思いません。

どこか尖っていて、むきだしの歯車の様なメカニカルな魅力があって、
時として扱いづらいほどパワフルで・・・ってそんなクルマは売れないんだろうなぁ




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コメント 11

ちんたん♪

もしかして久し振りの1番乗り?(笑)
僕は実際アンチホンダだったりします。
でもこうしてみると昭和を感じますねえ
このアコード、知り合いが2人も持ってました、時代ですね
トミカはバモスと郵便車を持ってましたね~
もちろん今は無いです。
(タイムリーな事にバモスは昨夜実車を見ました)
普通に子供のおもちゃとして使命を果たしました。
ALWAYS!
by ちんたん♪ (2007-11-02 01:40) 

ベアトラック

うわ~、今回もすごいですねぇ。
ダックス、懐かしいです。子供の頃、タミヤのプラモデルで作ったことを思い出しました。
by ベアトラック (2007-11-02 11:26) 

ねこざかな

ちっちゃいホンダ車、今回も堪能させていただきました。
サクラのTN360なんて、あったんだ(驚)

ホンダはいま、ジェット機も作っているそうですね。
モデル化されたらコレクションに加わるのかな?楽しみ♪
by ねこざかな (2007-11-02 16:07) 

1275GT

ちんたん♪さん
一番乗り有難うございます(笑)
最近のホンダはカラーが薄くなっておもしろく有りませんが、
昔のホンダは機械好きにはたまらない存在でした。
初めて乗ったカブの振動や、Nのシフトフィーリング・・・
ミニカーを眺めながら思い出しています。
でもミニカーは本来子供のおもちゃですから、
普通に使命を全うすることに意義が有ります。
どちらかというと、箱に入れたままできれいに持っているのがおかしいのです(爆)
by 1275GT (2007-11-02 23:55) 

1275GT

ベアトラックさん
私もプラモはけっこう作りました。
不器用なもので、出来は散々なものでしたが・・・(笑)
実車は、ミニの面倒を見て貰っているCGの社長からいただいた、
ノーティダックスというバイクを持っています。
by 1275GT (2007-11-03 00:02) 

1275GT

ねこざかなさん
サクラのTNはタテ目4灯の変わったモデルです。
もしかすると、ミニカー化されたのはこれだけ?

今回写真撮影をするのに、見つからなかったモデルがいくつか・・・
とうとう家の中で失しものをする羽目に(笑)
by 1275GT (2007-11-03 00:14) 

1275GT

xml_xslさん
いつもnice!有難うございます。
by 1275GT (2007-11-06 08:35) 

ベアトラック

サンタフェに入りました。今回も、サンタフェ鉄道の写真を撮る余裕があるといいのですが。
by ベアトラック (2007-11-06 14:33) 

1275GT

ベアトラックさん
あくまでもお仕事で行っているのですから・・・
無理はなさらずに・・・えぇ(笑)

どうしても、と言うことであれば「鉄ッチャン」は嬉しいですが(爆)
by 1275GT (2007-11-06 19:22) 

いっぷく

ホンダは創業者の本田宗一郎さんが生きていてホンダだと
いうイメージが払拭されません。

私の尊敬する人物の一人ですが、1980年頃インドのウダイプールという町に行った時インドの人々はホンダがここに来たと口々に言ってました。こんな所にまで来ているんだと驚いた覚えがあります。
ホンダさんの名前を間違ってはいけないとおもいウイキペディアに
行ったら、こんな記事に出会いました。

『ある日、宗一郎がふら~と工場を巡回していると若い工員が「おいっおっさん!なにズボンのポケットに手突っ込んで歩いてんだ!転んだらどーすんだ!」と注意した、暫くしたら「正装のズボン」からポケットが全て取り外された。現在もズボンのポケットは無い。 』

さすが本田宗一郎さんですね。
by いっぷく (2007-11-09 19:37) 

1275GT

いっぷくさん
確かに、本田宗一郎というひとはホンダそのものという気がしますね。
特に’60~’70年代のホンダはどこにもない新しい技術にあふれていて、
世界を相手にパワフルな戦いを挑んでいました。
大きく言えば戦後の日本という国の象徴だったでしょう。
そんな時代のホンダを、本田宗一郎の作ったものを、
手にすることが出来たのですから、ホンダ党としては幸せな時代でしたね。
by 1275GT (2007-11-19 23:30) 

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