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最近のミニカーは凄いです!(生沢徹コレクション) [minicar]

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この夏は公私ともに多忙を極め、お盆休みも返上し、
恒例のミニのイベント“305”も欠席してしまいました。
何か書き始めようとしても、睡魔に負けてしまって・・・(笑)

長いこと書きかけたままであった“ヲタクネタ”です。
ダラダラと長くて、くどい部分もありますが、お許しを・・・
去年の秋、モテギのクラシックカーイベントで、40年ぶりに生沢徹がポルシェ910に乗りました。
で、エブロから出ているこの910のモデルが欲しくなって、ヤフオクで探してみると・・・
色々なメーカーから、結構たくさんの“生沢モデル”が出ていることに気づいたんですね。
中にはとてもレアなモデルまで・・・最近のミニカーは本当に凄いですねぇ。

手にしてみてさらにびっくり、細かいパーツまでしっかり作りこんであって、
デカールもとってもきれいで、昔だったら数万円はするキット完成品のようですね。
いまや、世界のほとんどのミニカーを製造するお隣の大国は、
マニアごころをくすぐる小技も、かなりの早さで進んでいるようです(笑)

“オクの奥”まで進んで見ると、今までモデル化されなかった国産旧車、
それもトラックやバスなどのはたらくクルマまで・・・
そして私の大好物の、古いレースカーも次から次へとリリースされています。
夜な夜な眺めているうちに、思わずポチッなんてね・・・(笑)

手元の資料を交えて、そんなミニカーを並べてみました。
生沢徹がドライブしたマシン中心の話なので、レースの内容などはあえて触れません(笑)

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’63年日本GP・B-Ⅱクラスのスカイラインスポーツです。
一応スポーツとはいえ、当時のスカイラインのシャシーに載せた、
ミケロッティデザインの流麗なボディが売りのラグジャリーなクルマです。
オープンではなくクーペボディを選び、バンパーレスにするなどそれらしい出で立ちではあります。

このモデルは京商。

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’63モーターファン臨時増刊号オートスポーツ
この年、プリンスと契約して4輪レースにデビューした生沢はまだ21歳の学生です。
足回りやエンジンはノーマルに近い状態だったらしくて、成績は8位がやっとでした。
前のMGAに比べると車高も高くて、かなりロールしているのがわかりますね。

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’63モーターファン臨時増刊号オートスポーツ
C-Ⅵクラスにもスカイラインで出ましたがリタイアに終わっています。
プリンスは事前のメーカー間の取り決めに従い、ノーマルに近い状態でしたが、
他のメーカーはそれなりに足もエンジンにも手を入れていました。
レギュレーションの裏を読む、なんてことは昔からあったのですね(笑)

このミニカーはトミカリミテッドにあるのですが、
残念ながらレース仕様はありません。

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’64第二回日本GP・GT-Ⅱ、“スカイライン神話”を作ったスカイラインGT(S54)です。
パッケージに2000GTBとありますが、これを“B”と呼ぶのは正しくありませんね。
S54は最初、ホモロゲ用に急遽ウエーバーキャブ3連装のモデル(S54-A1)を100台作りました。
レースカー、テストカー、予備車などに、大部分は使われましたが、
一部登録されてレース関係者などの手にも渡った模様です。
大昔、友人(の父上)が幸運にも手に入れて自分も乗ったことのあるクルマは、
当時のレース関係者(Y氏)のプライベートカーだったそうです。
確か車体番号がひと桁の個体でしたねぇ。

このモデルはエブロです。

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これはアドバンスピリット(アドオリジナル)のS54です。
当時、自分の乗るマシンは好きなカラーにできたらしいのですが、
白いボディに赤い2本のラインはとてもセンスがいいですねぇ。
たしかコーギーのムスタングに、こんなカラーがありましたね。

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’64AUTO-SPORT創刊号
レースでは純レーシングカーのポルシェ904にかなうわけもなく、
結局生沢は3位でしたが、たった1周だけポルシェの前を走った・・・そのことが、
スカイラインGTと言うクルマの運命を決定づけたとも言えますね。
なまじ上位独占で終わるよりも、何倍もの効果があったと思います。

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’64AUTO-SPORT創刊号
このノーズの長いプロポーションは、ロングノーズショートデッキのはしりですね。
当時、とてもかっこよかった記憶があります。
いや、今でも十分にカッコいいですねぇ(笑)

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’64AUTO-SPORT創刊号
T-Ⅵクラスのグロリアスーパー6です。
信じられないことですが、ツーリングカーは360ccの軽自動車から、
2000ccのトップグレードまで、すべてクラス分け(6クラス!)されていました。

モデルはトミカリミテッドです。

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’64AUTO-SPORT創刊号
生沢は、ポールポジションからのスタートでしたが・・・

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’64AUTO-SPORT創刊号
タイヤが外れて!リタイヤに終わりました。

実はミクロペットにカーナンバー付きの優勝記念モデルがあるのですが、
既成のミニカーに優勝車のデカールを貼ったモデルでした。

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’64AUTO-SPORT創刊号
T-Ⅴクラスにスカイライン1500(C10)で優勝しているのですが、
“ドンズバ”のミニカーはありません(笑)

こちらもミクロペットがありますが、カラーが違います。
トミカリミテッドに至っては73と言う実在しないカーナンバーが付いています(笑)
ちなみに、上記のミクロペットのグロリア、スカイライン、ブルーバード、
優勝記念モデル3台を合わせると、中古のミニが買えるくらいの値段になります(笑)

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’66年の日本GP(’65年は中止)はプリンスティームからこのR380で出場しますが、
後続を抑えるティームプレーに徹して12位に終わります。

モデルはこれもエブロです。

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’67年の日本GPは自らスポンサーを集めて、ポルシェ906で出場しました。
前の年に日産と合併したプリンスには、すでに生沢の乗るマシンはなかったのです。
VANやPEPSI、レーシングメイトなどのステッカーをまとった906は見事1位に輝きます。

モデルはエブロの限定です。

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AUTOSPORT YOUNG
同時に国内では、自らCM媒体に露出することで、活動資金を集め、
本場ヨーロッパのレースに力を入れ始めていました。

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’68年の日本GPは、タキレーシングが用意したポルシェ910で出場し、
クラス1位、総合でも2位と言う好成績でした。

モデルはエブロばかりですね(笑)

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このポルシェ910そのものが、去年「もてぎ」でドライブしたマシンですね。
このポルシェ、一時期海外流出の危機があったらしいですが、
今は熱心なマニアのもとにあり、完璧にレストアされています。

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ヨーロッパに戦いの場を移した生沢は、
F-Ⅲはブラバムで、スポーツカーレースはホンダS800で、素晴らしい活躍をしていました。
写真は近年英国からやってきた、生沢が当時乗っていたブラバムBT21です。

このマシンはUNIONからプラモ化されていますが、
非常に組むのが難しいモデル!?として知られています(笑)

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’67年にニュルブルクリンクで行われたADAC500㎞でクラス優勝したS800です。
トミカの二次加工品ですが、ルーフのサインがとてもいいですねぇ。

フジミからプラモが出ていますが、まだ未入手です。

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AUTOSPORT YOUNG
この写真はペプシの広告ですね、’69日本GP、マシンは三菱コルトF-2Cです。
三菱チームからスポット参戦した生沢は、予選1位で決勝はリタイアでした。
翌年も、三菱チームからやはりスポットでの参戦でしたが、良い成績は残せませんでした。

コルトF-2CもF-2D/R39もミニカーはありませんが、
’71年のF2000はトミカで出ていますね。

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すでに、ヨーロッパではロータス69でF-Ⅱにステップアップして好成績を残していました。
’71年日本GPは、三菱との契約がかなわず、このロータス69を持ち込んだのですが・・・
事実上ブラバムのシャシーに2リッターのエンジンを積んだ三菱勢に、
コスワースFVC1.8リッターで挑み3位に入賞しています。

ロータス69のモデル(プラモ)は未確認です。

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autosportyear'74
ロータスのカスタマー(お客)としてではなく、ドライバーに専任するために、
新しく出来たGRD(グループ・レーシング・ディベロップメント)と契約を結び、
ヨーロッパではGRDー272でF-Ⅱを、日本ではGRDーS72でグラチャンシリーズ(以下GC)に参戦。
しかしニューマシンは思うようには走らなかった・・・

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autosportyear'74
翌年、同じヨーロッパF-Ⅱを戦う風戸裕と「チーム・ニッポン」を結成し、
マシンはCRD-273を使用する。
国内のGCレースには風戸はGRD-S73を使うのですが、
思ったほどの結果が出なかったのか、すぐにシェブロンに替えてしまいます。

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これは風戸がGCの事故で亡くなった後、日本に持ち込まれたGRD-273。
一度海外に出たのですが、最近また日本に買い戻されたようですね。

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autosportyear'74
生沢は、GCでGRDのメンテを担当したシグマ・オートモティブが、
GRDを参考にFISCOに合わせて作ったシグマGC73を使用しました。
当時のFISCOは、長いストレートの先に30度のバンクがあるという、
世界的にも特異なコースでしたからね。

GRDは短い間だけ存在したメーカーだったので、ミニカーはないみたいですね。
キットは・・・あるのでしょうか?(笑)


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やっと、ミニカーの登場です・・・(笑)
シグマGC73をベースに、ルマンに向けて作られたシグマMC73です。
エンジンはマツダロータリーを積んでいて、予選は14位、決勝は10時間目にリタイアしました。

モデルは、スパーク(ビザール)のMAZDA ROTARY LE MANS HISTORYです。
本来、リアウイングにTOYOTAと大きく入っているのですが、
これはシグマの代表である加藤氏がトヨタ出身なのと、
当初、トヨタのターボエンジンを載せる予定だったためなんですね。
このモデルでも、デカールは別に入っていました。
最初から貼れないところに、オトナの事情がありそうです(笑)

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この年、ヨーロッパからの撤退を決めGCに本腰を入れます。
’74年はGRDにはシャシーのみ発注し、ボディは日本で作ったのです。
あの流麗なボディデザインはFISCOのコースに合わせたものだったんですね。
当時最強だったBMWエンジンはスペアが無く、決して十分な体制ではありませんでしたが、
いつもレースでは素晴らしいスタートを決めて、
スタンドから良く見えるヘヤピンに、トップで飛び込んでくるのがとても印象的でしたねぇ。

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長いことGRDS74はワンオフだと思っていたのですが、
以前このマシンについて書いた時、77456さんから興味深いコメントをいただきました。
以下、その全文です。

『GRD-S74といえば数年前にFJシャシーを使ったレプリカがあって、
自分はそれしか見たことが無くオリジナルの行方を気にしてたのですが、
諸事情で本物を使えなかったのでしょうか?
日本には今回のものともう一つ上陸時にはテクノなるボクサー8気筒を積んでいて、
その後生沢氏が自チームの立ち上げに際してマツダロータリーに積み替えた「2号車?」があったはずです。
仮に「伊太利屋ver」を作るようなことがあったらこのシャシーか、
もしくは1年古くなるけど故風戸氏が持ち込んでいたS73(基本的に同じ構造)でもいいので、
作り上げてもらいたいですね。 』

とてもマニアックな情報ですね・・・“同好の士”大歓迎です(笑)
この年、GCシリーズは最悪とも思える大きな事故があり、
風戸をはじめドライバー二人が犠牲になり、多くの負傷者を出しました。
観客に被害が及ばなかったのが、せめてもの救いでしたが・・・
この年の暮、ともすれば消えてしまいそうだったGCレースの将来ために、
生沢らドライバーが協力して、エキジビションとしてマシンを走らせ、
ファンにアピールするイベントがFISCOでありました。

話題作りもあったのでしょうが、
生沢はGRD-S74にテクノ・ペテルザーニのフラット8を積んで、
FISCOにその快音を響かせたのでした・・・
結局思ったほどパワーもなく、このエンジンはスペアも含めテクノに送り返されています。
その辺の事情はTECNOのデータに詳しく記載されています。

GRD S74はニットーのプラモ、1/8のラジコンボディなどがありますが、
他にもガレージキットなどがあるようです。
あの流麗なボディスタイルを・・・お願いしますよ、エブロさん(笑)

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autosportyear'74
F2000はシェブロンB40BMWで出走しましたが、
目立った成績は残せませんでした。

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当時、FISCOで撮った1枚です。
国内レースでもトップチームは潤沢な資金で、次々にニューマシンを投入し、
生沢のような“一匹狼”は苦戦を強いられるようになっていきます。

’77年にGRD-S74で生沢は、苦労の末念願のGCチャンピオンになりますが、
翌年からは、次第に自らのチーム運営に力を注いでいきます。
ドライバーに中島悟を擁し、国内のタイトルを総嘗めにし、
やがて中嶋がF-1に登りつめる大きなステップを作ることになります。

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’79年、ドライバーとしてルマンに帰ってきます。
GCでロータリーエンジンを使った縁でしょうか、マツダスピードのエントリーですね。
ただ、RX-7をベースにしたこの252iは熟成不足で、予選落ちに終わります。

MAZDA ROTARY LE MANS HISTORYは、国際貿易のオーダーですが、
多くのマツダファンが涙したに違いない(笑)、素晴らしいラインナップです。
それなりに高価ですが、欲しかったマニアも多かったでしょうね。

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’80年、前年の予選落ちが堪えたのか、
この年は競争力のあるクレーマーポルシェK3でのエントリーです。
伊太利屋のスポンサーが付いていますが、かなりの予算が必要だったでしょうね。
そのかいあって、予選は3位に入っていますが、決勝はまたもやリタイアに終わりました。

このフジミのポルシェが一番新しいTETSUコレクションです。
他にTSM(トゥルースケールミニチュアズ )から1/18が、
スロットレーシングにも1/32があるようです。

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’81年はまたマツダスピードからRX-7 253での参戦です。
予選は通りましたが、決勝では最後まで持たずにリタイアしてしまいました。
結局、生沢はルマンに完走することはかないませんでしたね。
ちなみに、マツダがロータリ-エンジンでルマンを制するのには、
あと10年の歳月が必要でした。

これもスパーク(ビザール)のMAZDA ROTARY LE MANS HISTORYです。

と、ここまでで“生沢徹コレクション”は一応お終いです。

最近のミニカーを見て思うことは、全体の造形ももちろん素晴らしいですが、
細かなデティールの表現が特に凄いと感じますねぇ。
ただ、そのために触れることができなくなってしまったのが残念です。

今回、撮影のためにプラケースから出しましたが、
ベースの固定方法などから見て、本来ベースから外すことは想定されていないようですね。
もちろん、手で転がして遊ぶようなことはしませんが、タイヤも回るようには作られていません。
玩車と言えども対象年齢の高い、眺めるだけのミニカー・・・なんですねぇ。

自分の好きな時代のミニカーは、美しいボディラインを手でなぞることもできるし、
サスの効きを試したり、前輪をステアさせたり、もちろん走らせることも・・・

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で、最後はそんなミニカーを・・・
メルクリンとコーギーのポルシェ911Sタルガです。
生沢は今、40年前に初めて買ったポルシェ911Sタルガそのものを、
大変なを苦労の末に探し出し、ドイツのポルシェ本社に送ってレストアしています。

歳をとってもそんなことを考え付いて、実行する、パワフルな生き方ですねぇ。
出来ることなら、自分も、やっぱりそんな“年寄り”になってみたいです(笑)

つい最近、エブロからS800が出ました!
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’67年にニュルブルクリンクで行われたADAC500㎞でクラス優勝したS800です。
こういうマニアックなミニカーが出てくるので目が離せません(笑)
この勢いで1/43のGRDーS74もお願いしたいですねぇ。

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これもエブロ製のポルシェ935ですが、Fujiの耐久レースに高原 敬武 と組んで出ていましたね。
ルーフに生沢の名があります。

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当時、自分が撮った写真が残っていました。



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ベアトラック

京商って、ミニカーも作っていたんですね。
僕らの世代は、京商といえば、中学校の頃に夢中になった「Uコン」の飛行機ですが・・・もう35年も前の話ですね・・・笑
最後のVANのステッカーも、激しく懐かしいです。
by ベアトラック (2009-09-10 10:12) 

ちんたん♪

濃すぎるので早めにコメント
内容は・・・・
ゆっくり楽しませてもらいます!

生沢選手は基本、イケ面ですね。
古い写真はGSアイドルだった頃のマチャアキに。
最近の写真は石田純一くらいかな(?)

またコメントしますね、すいません(爆)
by ちんたん♪ (2009-09-10 23:16) 

1275GT

takagakiさん

nice!有難うございます。
素晴らしい画像の数々、堪能させていただきました。
by 1275GT (2009-09-11 07:50) 

1275GT

ベアトラックさん

自分で読み返してみても、恐ろしくつまらない記事です(笑)
コメント、ありがとうございます。

京商はラジコンと言うイメージが強かったですが、
最近では缶コーヒーの上にも乗っていますね(笑)
VANは自分もツボです、懐かしさと、憧れと・・・
by 1275GT (2009-09-11 07:56) 

1275GT

ちんたん♪さん

どうです!濃いでしょう・・・って(爆)
書き始めから数か月、書き直すこと数回、
そういえば、寝ぼけて消しちゃったこともありましたねぇ。
あまりのヲタクさゆえ、初めて(実は2回目)のコメゼロかと・・・

生沢は当時、甘いマスクと抜群のファッションセンスで、
若者の間ではとても人気がありましたねぇ。
ただ、「私ゃ、も少し背が欲しい~♫」のクチでしたが・・・(笑)

外国人招待選手との待遇の違いに、
選手宣誓(んなもの、あったんです)を拒否して、
1年間、国内レースを干されたこともありました。
結構、“漢”でしょ(笑)

ちなみに今の夫人は3人目です、
ホントだ、やっぱり石田純一なんですねぇ(爆)


by 1275GT (2009-09-11 08:17) 

ねこざかな

いやあ・・・流石、近年のものもちゃあんと押さえていらっしゃるのですね。
眼福&解説ありがとうございました。

紙資料の充実にも毎度、感服しております。
初代スカイラインのレース仕様・・・ほんとトミカで出して欲しいですね!

by ねこざかな (2009-09-15 00:53) 

いっぷく

濃い内容ですね、随所に知らなかったことが出てきます。
初めてレース観戦をしたころを思い出しますよ、
まだ免許も持たないころだったので車が好きだった兄に乗せてもらい夜にFISCOに向けて出発して行って観戦した記憶がありますね。


by いっぷく (2009-09-16 05:15) 

1275GT

ねこざかなさん

ほんの気まぐれで、買い始めたら“開戦”しちまいまして・・・(笑)
少しづつ調べながら、書いては消しを繰り返しているうちに、
どんどんマニアックな方向へ迷い込んで・・・
って、もともとこういう話が大好きなもんで(笑)

久しぶりにミニカーショップへ行きました。
終わりのない新製品ラッシュと、ネットとの競争は、
なかなかつらそうですねぇ・・・
by 1275GT (2009-09-16 07:53) 

1275GT

いっぷくさん

考えてみれば、ずいぶん昔のことですからねぇ・・・
今聞いたことは忘れても、昔のことは覚えているんですよ(笑)

当時、お小遣いをはたいて買った雑誌を引っ張り出しました。
まだ日本が夢に向かって突き進んでいたころの話ですね。

自分もしばらくの間、楽しませてもらいました(笑)

by 1275GT (2009-09-16 08:00) 

merci

ロンツーです。

なかなかヲタクネタが出てこないなぁと思っていたら、こんな濃い内容のネタを書いていたとは・・・
資料を探したり、読むだけでも大変かと思うのに・・それを文章に起こすとなると・・・私なら半年くらいかかりそうです(汗)
これからもヲタクネタ、楽しみにしております。

生沢徹さんといえば・・・私はポルシェ910のイメージが強いですねぇ。

by merci (2009-09-20 07:21) 

1275GT

ロンツーさん

最近ポルシェのミニカーを買ったことと、
古い雑誌が見つかったことから、こんな記事になりました。

書いては消しを2度ほど繰り返し、
えらくつまらない記事になったところで、更新に至りました(笑)

嗚呼、もっと知りたいことばかりです・・・
by 1275GT (2009-09-21 16:11) 

y

2台目のgrd-s74というかロータリーが載ったVAL DESIGNの現車が神奈川のとあるガレージに一昨年前ですが目撃しました。fjベースでのレプリカを作られたガレージのお知り合いのところです。
by y (2010-04-22 15:24) 

1275GT

y さん

やっぱりあったんですねぇ・・・
ロータリ-エンジンを積んだ方のシャシーは、
GC撤退時に売却されたらしい、といわれていました。
一昨年、モテギに展示されたエンジンなしのシャシーは、
当時チャンピオンを獲ったそのものなんでしょうか?
それとも全く新しく作り直されたものなんでしょうか?
謎は深まるばかりです。
カーマガが、記事にすると言ったきりなんですよね(笑)


by 1275GT (2010-04-22 21:37) 

サクラぱぱ/しげぞー

はじめまして。
S74は79年に徹監督、中嶋/高原選手で挑んだ時に2台ありませんでしたっけ?
高原はマーチでした?
でも、当時関係者に聞いた話ですが、S74は改良に改良を重ねられてもはやパーツはほとんどマーチだったとか。
モデル化を望みたいですね。
by サクラぱぱ/しげぞー (2010-06-25 02:32) 

1275GT

サクラばば/しげぞーさん

はじめまして、こちらこそ宜しくお願いします。
’08年のイベントの展示されたS74(エンジンレスの)は、
どうやらスペアマシンだったようですね。
シングルシーターになる直前のGCマシンは、
ほとんど日本製のマーチレプリカでしたからね。
エブロあたりでミニカー化してくれませんかねぇ?

貴重なお話を聞けてとてもうれしいです。
ありがとうございました。
by 1275GT (2010-06-25 08:37) 

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